第170話 『隠岐ジオパーク』 (島根県/七類港〜七類港 2012年8月11〜12日)

「隠岐の島」へ向かうために、島根県・七類港へやってきました。
フェリー“おき”停泊中、格好イイ〜ヽ(´▽`;)/♪

ターミナルで
 乗船券購入〜♪

本土⇒隠岐
 2等¥3150−

そして、島後(西郷)行きのフェリー“おき”に乗船しました。。

奥のフェリー“くにが”は、
島前(来居・別府・菱浦)行きです。

「メテオプラザ」↑は、隠岐航路ターミナルだけでなく、
美保関いん石(1992年落下)展示を中心とした、1日
中楽しめるアミューズメント施設です。

軽く一口〜ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ →

9:00ジャスト出航〜(*^▽^*)ノ凹”~~~~~トランクスフリフリー♪

11:25西郷港に到着〜 (*゜▽゜)♂))  あっ!ゲゲゲの鬼太郎がお出迎え♪

西郷港では、島根県らしい!ってものが、お出迎え〜^^

隠岐は、水木サンのルーツです/水木しげる→

鬼太郎親子とねずみ男のオブジェ↑

←しまねっこ
  かわいい〜(#⌒∇⌒#)ゞ
  頭は出雲大社だよ。。

                       島内の移動はこれ→
レンタルバイク借りました v(o ̄∇ ̄o) ヤリィ
ビール一口だけなので、酔いはさめていますよー マジです。

まずはキャンプ場へ

移動中〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。。

あいらんどパークに到着♪

テント組立て完了。
現在、時刻は13時15分。
他にテント泊のお客さんは居ないみたいです。

島後半周の旅に出発〜!
最初に都万村で“牛突きの像”を発見しました。

闘牛と呼ばれている牛と牛との格闘を隠岐では「牛
突き」と言います。
そのルーツは、承久の乱(1221年)で隠岐に配流
となられた失意の後鳥羽上皇をお慰めしようと、強
そうな雄牛を集めて闘わせたのが始まりとされてい
ます。
隠岐の牛突きの特徴は鼻綱をつけたまま闘わせ、
綱取りと称する若者が牛をリードするところにあり、
その闘わせる方法は昔ながらのしきたりと伝統を
重んじ、民俗学的に高い評価を得ています。

次に「壇鏡の滝」入口に到着。。

ここへ来るために、隠岐までやって来たんです。

壇鏡の滝は、日本の滝100選に選ばれており、
壇鏡の滝湧水が、名水百選に選ばれています。

鳥居をくぐって5〜6分歩いてゆくと、
        壇鏡神社社殿とともに、壇鏡の滝が見えてきます。

そして社殿の横から、
    滝の裏側へも行く事が出来ます。

滝を見上げて〜

滝裏から下を見て〜

滝裏から見上げて〜

←見えない?
滝水が降ってます。

「ローソク島」に到着。。

沖合い500mの海上に浮かぶ島で、水面からの
高さは20m、垂直に立つこの島の先端に落ちる
夕日は、あたかも“ともし火”のように輝き、隠岐
の代表的な景勝地となっています。

←ローソク島展望台から見下ろしました。

西郷に戻って来ました。。

←隠岐騒動勃発地

この地は近世隠岐代官所(陣屋)の設置された場所で、
明治維新後は隠岐県庁、鳥取県隠岐出張所、島根県
隠岐四郡役所、隠岐島庁、隠岐支庁等が位置していま
した。
慶応4年隠岐騒動発生の時には、この陣屋の攻守を
めぐって島民と代官所・松江藩兵との間に激戦が、くり
広げられ郡代追放、藩兵引揚の後に島民はこの陣屋
を中心に会議所、総会所と称する自治機関を設けて
政権を確立しました。

キャンプ場に戻って来ました。。

あいらんどパーク内にある“レストランうみさち”で、
おすすめのサザエカレー注文〜ヾ(*ΦωΦ)ノ。。

サザエカレーは、島では常識のご当地カレーです。

岩海苔おにぎりと隠岐そば
のセット”も気になった…

翌朝、西郷港から島前(菱浦)へ向かいます。
フェリー“しらしま”停泊中、これもやっぱ格好イイ〜ヽ(´▽`;)/♪

乗船券購入〜♪

西郷⇒島前
 2等¥1430−

そして、フェリーに乗船しました。。

そして朝食!
またまた軽く一口〜
ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ

8:20出航〜(*^▽^*)ノ凹”~~~~~トランクスフリフリー♪

船内では、
鬼太郎と仲間がお出迎え→

「三郎岩」を通過、大きい方から太郎・次郎・三郎です。
9:30菱浦港に到着〜 (*゜▽゜)♂)) 

フェリー“しらしま”は、10分後に再び出航〜 お見送りっていいですなぁ(´▽`)はぁぁ・・

←この島でに移動はこれ♪
電動自転車をレンタルしました v(o ̄∇ ̄o) ヤリィ
やはりビール一口だけなので、酔いはさめていますよー マジマジです。

さっそく「隠岐神社」に到着しました。
ここは後鳥羽天皇をお祀りする神社として、昭和14年に創建されました。

天皇は位を退かれると、上皇となり、仏門に入ると院となります。
後鳥羽上皇は、承久の乱で隠岐に配流される直前に出家して院となりました。

←後鳥羽上皇隠岐山稜

←後鳥羽院天皇行在所跡

この地を仮御所と定められ、不自由な明け暮れであ
ったが、院の御心の支えは“和歌の道”であり、多く
の詠を残しにならえれました。
御製
我こそは新島守よ隠岐の海の 荒き波風心して吹け

「明屋海岸」まで移動しました。

海底が白い砂地で、陸からはエメラ
ルドグリーンの海に見え、赤崖と海
が美しく映える海岸です。

←海岸には、無料で利用出来る
  野営場がありました。

海岸には、女神がお産をしたという神話が残されており、産屋
のたらい岩と屏風岩が、海面に浮かんで見えます。

そして、ここでの目的地「天川の水」に到着。。

奈良時代天平の頃、僧行基が隠岐行脚で訪れた時、うっ蒼とした
木蔭の洞窟から音を立てて流れ出ている湧水に霊気を感じ、この
地に一宇の堂を建てて聖観世音菩薩を祀って清水寺と号し、この
水を天恵の川(天川)と名づけたそうです。

名水百選に加え、
疎水百選にも選ばれています→

湧水量は、日量400トンを越し、水質は極めて良好です。

菱浦港に戻ってきました。
キンニャモニャセンターで乗船券を購入〜♪ でも…キンニャモニャって何だ?
出航まで時間があるので、さらに付近を散策します。

隠岐⇒本土
 2等¥3150−

海士町独自の民謡で、子どもからお年寄りまで島民みんなが踊ることのでき
る地域で非常に馴染みのある民謡とのこと。 両手にしゃもじを持って、軽快な
リズムに合わせて踊ます。
きよが機おりゃキンニャモニャ
あぜ竹へ竹
殿に来いとのキンニャモニャ
招き竹キクラゲチャカポン
持って来いよ
世にも珍らしキンニャモニャ
唄えやおどれ
苦労忘れてキンニャモニャ
酔うほどにキクラゲチャカポン
持って来いよ

歌詞も楽しいです^^

そしてお腹空いた… センターの“船渡来流亭”で食事。。

←隠岐そば 十割そば
に焼鯖だしが特徴です。
白いか(剣先いか)の
         お刺身→
海士のブランド岩牡蠣
           春香→
小泉八雲(ラフカディオ カーン)像発見!
古き良き日本を愛し、日本人として生きたハーンは明治25年8月に海士を訪
れ、菱浦湾の畔にあった岡崎旅館(現在地)に滞在しました。水泳を楽しんだ
り、少女が機を織る姿を心ゆくまで眺めて過ごしたそうです。ハーンはこの菱
浦湾を鏡浦と名づけたといわれています。

小泉来島百年
愛蘭土大使友好碑→

船着場を歩いていたら、こんな生き物を見つけました。

ハナオコゼ→

←サザエ
こんな大きさのが島の周りに沢山いるらしい…
だからカレーに入れてしまうのか?

※写真で捉えることが出来ませんでしたが、
  小さなイカもたくさん泳いでいました。

時間になりました。
15:45 フェリー“くにが”に乗船、出航〜(*^▽^*)ノ凹”~~~~~トランクスフリフリー♪

別府港を経由して…

18:25七類港に戻ってきました。

←目玉おやじと
 一反木綿でした。

下船してから撮りました。
格好イイ〜ヽ(´▽`;)/♪

隠岐の旅は、また来て見たいと思わせる魅力たっぷりの旅となりました。