第164話 『石鎚山から土佐湾@』 (高知県/本川〜網代 2012年5月3〜4日)

「石鎚山」登山のためにやって来たのは、道の駅“木の香”です。
ここをベースに石鎚山を楽しみたいのですが… 天気が良くない…

←温泉がある道の駅です。

気になる幟…
土佐・本川 献上 手箱きじ→

とりあえず、石鎚山へ行ってみます。

よさこい茶屋付近はガス… 土小屋付近もガス…
     この天候での登山は危険と判断し、一旦下山しました。

道の駅前の直売所で、山菜と雉…旨そうO(> <)o

きじめし&きじそば♪
山菜天ぷらも出来立てホヤホヤヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ

ちょうどまつりの日だったんですね
       ラッキー\(^^\)(/^^)/チャチャチャ

こしあぶら→
初めて食べました。

石鎚山がダメなら横倉山の「安徳水」へGO!

↑ここから400mほど行くと杉原神社で、その先に安徳水があります。

杉原神社に到着〜♪

神社は大杉林に囲まれており、中でも
南株:推定樹齢500年、幹囲5.92m、樹高51m、
北株:推定樹齢600年、幹囲7.29m、樹高47.5mの二株が目立ちます。

横倉山を詠んだ牧野富太郎の歌碑がありました。牧野氏は“日本の植物分類学の
父”といわれる土佐出身の偉人で、ここは研究の礎を築いた場所です。

“森々と杉の木立の限りなく
       神代ながらの横倉の山”

歌碑の先の、安徳水に辿り着きました。
安徳水は、文治元年(1185年)屋島の合戦で敗れた平家一門が、安徳帝を擁
しこの地に落ち延びられ、平知盛ほか80余名が天の高市(武家屋敷跡)に25
件の家を構え、都とした折りにこの泉水を供御水とされたとされます。

苔でカモフラージュ↑
危うく気づかないとこでした。




物足りないので、もっと奥まで散策します。
横倉宮を過ぎて、さらに進んで行くと安徳天皇陵墓参考地に着きました。

安徳天皇は、壇ノ浦の戦いで平家敗北とともに崩御(6歳4ヶ月)したとされま
すが、ここでは平家一門が安徳天皇を擁し四国に上陸したとされます。
1年数ヶ月の潜幸の後ここ横倉山に辿り着き終焉の地としたが、正治2年(1
200年)に御歳23歳で崩御しこの地に奉葬されたとされ、陵墓参考地として
宮内庁の所轄地となっています。

さらに進んで、畝傍山眺望所を目指します。

ここで珍客!黒い蛇が現れました。

何蛇だろう? 黒化型なので種類判別は難しい〜(>_<)

そして畝傍山眺望所に到着!

眺望抜群、遠く土佐湾まで見渡せます。(〃 ̄∇)」やっほ〜♪ / ̄\∞

この断崖は、
   馬鹿だめし→

←横倉宮の祭神は、
      安徳天皇です。

馬鹿だめしは、命知らずでなければ突端までは行けない。
                 行きたかった…残念(。>0<。)

横倉山を下山して、もう一度石鎚山へ登りましたが、山頂の天候は悪いままでした…
風雨の中、しらさ野営場でキャンプしましたが写真はありません。。ごめんちゃいm( __ __ )mヨユウガナカッタ

翌朝、石鎚山登山は完全に諦めて下山です。すると… 天候が悪くて見えないと思っていた
「御来光の滝」が見えていました。

←中心の白い筋が
    御来光の滝です。

←山頂は雲で
    覆われています。

霊峰石鎚山に源を発する御来光の滝は
仁淀川の源流で、面河渓谷の上流7km
の地点にあります。
朝日に映えて純白に光り輝く様は荘厳
そのもので、信仰の山石鎚に詣でる行
者達は、『神』とあがめています。

かなりの遠望…
双眼鏡で見た写真です→

御来光の滝を撮影出来て大満足♪ 完全に石鎚山を下りました。

ちなみに
安徳天皇陵墓参考地
は、全国に10ヶ所ほ
どあります。

四国カルストは、
愛媛県と高知県との県境にある標高1400m、
東西25kmに広がり、浸食作用で地表に露出
した石灰岩が点在している台地です。

姫鶴荘の敷地内に県境があります。

「四国カルスト」に到着〜(^o^)/

←サンダル
m(_ _;)m

←手づくりの
看板♪

梼原の「雲の上の温泉」に寄ってから…

標高が高いと涼しいねぇ〜景色も良かった♪

四万十川の網代キャンプ場までやって来ました。。

2日目は河川敷でテント泊です。文旦のお酒飲んで良い気分...((((ノ*~~O~~)ノ ヒック   次話へ続く…