第69話 『涼風〜栃・群・長 2・3日目』 (群馬県/水上〜横川 2008年7月20〜21日)
滝まで900m 結構歩くんだな〜(かめ太)
結局歩くのか・・・(++)(minami)
結局、遊歩道を一周(約2.6km)してしまいました。
さらに足がガクガク〜ヤバ(;◎_◎)ノ(かめ太&minami)
“米子不動尊”まで来た。
げげっ!近すぎて全体写真が撮れない・・・
昨日は涼しい泊まりで寝過ごしてしまった。
遅めの8:30出発〜(かめ太)
8:30って普通じゃない?(minami)
どこへ行こうか決めていないまま、
水上まで来ました。
↑道の駅「水上町 水紀行館」へ寄ると、観光馬車が・・・
ラフティリング〜→
多すぎないか?
←すぐ隣は利根川です。
諏訪峡めぐりも良いかも〜
次の目的地は涼しいところがいいので、草津「常布の滝」に決定!
しかし、( ̄▽ ̄;)!!ガーン 何だこの岩は!?→
車が通れない〜
少し歩いてみたが・・・ どのくらいで目的地なのか?
昨日の霧降高原で足がまだガクガクだし・・・ あきらめるか・・・
もう歩けません〜(minami)
権現滝&不動滝のベストビューポイントは、さらに10分程歩いた〜
↑雲が下にあるよ〜
ここは標高1480m
不動滝→
酒蔵見つけてしまった〜
「遠藤酒造場」♪
が、もう閉まっていた・・・
↑“日本一小さい酒蔵”と書いてある
「遠藤酒造」のお酒売っていたので、→
新聞で包んである右側の“渓流朝しぼり”買いました♪
翌朝、有名な「善光寺」へ
早朝なのにすでに参拝者がいました〜
←参道の石畳は7777枚あるらしい。
←「大本願」は善光寺創建(西暦642年)当初からの尼寺です。
39もの宿坊があります。
“善光寺の鐘”が音風景100選に選ばれていて
↓鐘楼は長野オリンピック開会も告げました。
↑創建は644年と言われているが不明で、仏教が諸宗派に分かれる以前の無宗派の寺院です。
倭(日本)に仏教が伝わった“仏教公伝”の本尊は、絶対秘仏で住職も姿を拝むことは出来ない。
創建以来11度も火災に遭っている本堂は、宝永四年(1707年)に再建されたもので『国宝』。
←「仁王門」
←「山門」
次は・・・「川中島の戦い」史跡めぐり♪ 松代方面へ
まずは典厩寺〜 第4次・川中島の戦いで討ち果てた武田信玄の弟・信繁の墓がある。
←閻魔堂の閻魔大王は日本一大きいらしい
閻魔堂にある
川中島合戦絵図→
←首きよめ井戸
討死した信繁の首を敵から奪い返して清めた井戸
←武田信繁の墓
そして、八幡原史跡公園(川中島古戦場)内の八幡社へ
ここは第4次・川中島の戦いで信玄が本陣を構えた場所
三太刀の攻撃を受けた信玄の軍配を
後に調べたところ、刀の跡が七ヶ所もあったといわれる
次は武田軍の軍師・山本勘助の墓へ
勘助の墓は、河川敷内のひっそりとした場所にあります。
その昔、討ち死にした勘助塚に墓がありました。
しかし、千曲川の氾濫で荒廃してゆくために
地盤の高い阿弥陀堂境内に移されました。
さらに千曲川の改修工事により、河川敷内となってしまったため、
阿弥陀堂が河川敷外へ移築され現在に至っています。
移築前の
阿弥陀堂と勘助の墓の図→
最後は「松代城」へ
山本勘助が築城し、当時は「海津城」と呼ばれていました.。
←平成7年からの整備で復元された新しい城です。
堀には、コシアキトンボとウシガエルが・・・
何だか暑いですなぁ〜
「川中島の戦い」史跡めぐりは暑かった〜
涼しい軽井沢へ行こう〜
東部湯の丸SAで休憩〜 ソフトクリーム♪
冷たくておいしい〜♪生き返る〜♪(minami)
←リンゴソフト
小倉ソフト→
軽井沢から碓氷峠を下って行きます〜
だんだんと霧が晴れてきた〜
途中で世界遺産を目指している“富岡製糸場”関連の鉄道施設の
碓氷第三橋梁(めがね橋)が見えてきました。再び群馬県入り〜です。
国の重要文化財なのに落書きが・・・
やめてほしいです。 (T▽T)
今は橋の上にレールは無く遊歩道になっていて、
4.8km先の横川駅まで行けます。
↓この時私は足痛いので、下で待っていました…(minami)
見下ろすと碓氷峠の続きが・・・
横川駅まで来ました〜 歩きではなく、もちろん車でです。
←茂がやったの?
逮捕されるよ!
横川駅と言えば荻野屋さんの“峠の釜飯”〜ですなぁ。
駅弁売りのおじさんも健在です!
駅前には、EF63−3号機関車の動輪がさりげなく展示
荻野屋資料館(無料)には、アプト式レールが・・・ これがまた川板に再利用?されていました。↓↑
今回はよく歩いたなぁ・・・ 当初は尾瀬に行く予定だったのに・・・(かめ太)
足が痛い・・・ 尾瀬なんて無理だと思う・・・(minami)