第211話 『朱鷺と金山@』 (新潟県/津南〜新発田 2014年8月15日)

「龍ヶ窪」にやって来ました。
今回は新潟県を周遊しまーす\(*⌒0⌒)b♪

どうやらこの先の池が龍ヶ窪のようです。

駐車場から遊歩道を歩いてゆくと
龍の水汲み場が現れました→

さらに進むと、池からの流水路→
毎分30トン流れ出ているそうです。

“奥の竜神様”の案内
につられて進んでゆくと…

池が見えてきました。

池の霧が神秘的です。 〜> ̄ )〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 龍、、、









「龍ヶ窪」に伝わる龍神伝説
・龍神伝説その@
昔、このあたりに芦ヶ崎という村があった。ある年、長い日照りが続き村人は食べ物はおろか、水一滴す
ら飲めない苦しい生活をしていた。あるとき、一人の青年が天上山へ食べ物を探しにでかけたが、そこで
見たのは、昼寝をする龍の恐ろしい姿。恐怖でおののく青年は、そばにある卵に気付き、年寄りと子ども
だけでも食べさせようと、こっそり盗んでなんとか村へ持ち帰った。卵を割り始めると、中から出てきた龍
の子が母龍に助けを求めた。すると、怒り狂った龍が直ぐさま現れ、村人を皆食い殺そうとした。村人達
はせめて子どもだけでも助けてほしいと必死にお願いし、村人達の必死さに心を打たれた龍は、三日三
晩雨を降らせ、池を作ってやった。村人達が礼を言うと龍は「この池はお前達の美しい心の象徴だ。しか
し、人の心の曇るとき、この池は涸れるだろう。」と言い残し消えたと云う。村人はこの池を「龍ヶ窪」と名づ
けて大切にし、神社を建てて龍神様を奉りしたと云う。

奥の龍神様に到着。

龍神伝説を読んだ後だから?
体のゾクゾク感は何だろう…

龍神様を
 奉った社→

・龍神伝説そのA
この地域では、水が豊富なため雨乞いは、ほとんど行わ
れないが、この池(龍ヶ窪)に松之山や南魚沼地方から
水をもらいにくる習わしが続いた。日照りが続くと、一升
樽に酒を入れそれを竹竿の先につけてかつぎ、二人か
三人で訪れる。龍ヶ窪の弁天様にこれを上げ、ぼん様が
お経を上げる。集落の役員も参加し、あとで酒を飲む。空
になった樽に池の水を入れ、竹の先につけそれに御幣を
つけて持ち帰った。雨を降らせたい処へそれを撒けば、必ず雨が降り人々は人々は
お礼に再び池を訪れた。水を持ち帰る際は、一休みする時も、肩から決して降ろして
はならず、地面に置いてしまうとその場所に雨が降ると伝えられた。

近くに、
コンコンと水が湧き出しいる場所がありました。

・龍神伝説そのB
その昔、ある晴れた暑い日、信州の北野の天神参りにいった帰り道、暑気をさまそうと、龍ヶ窪の池に飛
び込んだ。中ほどまで泳いで行くと、不気味に霧が立ち始めた。あわてて岸へ引き返したが、霧はみるみ
る深くなり、空には暗雲が立ちこめた、着物を着る暇もなく、慌てて家へ逃げ帰るが、逃げる通りに、黒雲
と雨は、何処までも追いかけ続け、その人は原因不明の病に倒れ、死んでしまった。これは龍ヶ窪の池の
主に追われて死んだのだと云う。

・龍神伝説そのC
龍ヶ窪の池も昔は大樹老木で覆われて、陽光も通わぬほどだったという。その昔、お寺の建立の話がま
とまり四方から木材が集められ、龍ヶ窪の老木も切ることになった。倒すとき思うようにならず、老木は池
の中に転がり込んだ。人手を借りて一度引き上げるのだが、翌日行ってみると、また前と同じ池の中に入
っている。池の主の許しがないものと、引き上げることを諦めた。その老木は今も池の底で朽ちることな
く、その姿をとどめていると云う。

「彌彦神社」へ移動〜♪

弥彦山の麓に建つ彌彦神社は、天照大神の曾
孫にあたる天香山命(あめのかごやまのみこと)
を御祭神とする、越後一宮です。
←大鳥居
高さ30.16m、柱間20.0m、笠木38.5m
社号額畳12枚敷(3.5×5.5m)

一の鳥居を通るとすぐに御手洗川があり、奥に玉の橋(御神橋)が見えます。

そして、二の鳥居を過ぎると、随神門が見えて
きました。

鳥居の前でまず一礼!

参拝は、2礼4拍手1礼
が弥彦流とのことです。

←拝殿→

酒蔵発見!

どれを買ったか忘れた… 写真がない…

弥彦山のもう一つの峰、多宝山麓の多宝温泉で醸造して
いる宝山酒造さん。この土地は極めて上質な湧き水に恵
まれていることから、宝の山の愛称でも親しまれ、その名
に因んで銘酒 宝山が生まれたとのことです。

近くに温泉もあったので入りました。
多宝温泉 だいろの湯♪

次は、「福島潟」へ移動〜。。
福島潟は、国の天然記念物 オオヒシクイ飛来数日本一を誇
る271haの湖沼です。220種以上の野鳥飛来が見られ、4
50種以上の植物が自生しており、オニバスの北限自生地と
なっています。

↑オオヒシクイの足跡

ビュー福島潟(福島潟を一望できる施設)へ入ると、受付にあったのは…

←オニバスの花

   アブラコウモリ→
今朝、館前で
死んでいたそうです。

館内を見上げると、オオヒシクイ ヾ(^◇^ )♪
←実は、本物そっくりに出来た凧です。

ヒシクイの飛来時期は、9月下旬から3月まで…
という事で、今の季節はヒシクイいません( ´△`)アァ-

まずエレベーターで最上階へ行き、らせん状に回りながら降りてきます。

屋上の絵↑、近くの保育園の子供たちが描いた絵を転写したそうです。

←屋上から見た福島潟

越後平野に
広がる田んぼ♪
やっぱコシヒカリかな?

←バードカービング

木を彫って
本物そっくりに作った
オオヒシクイです。

ウシガエルとアメリカザリガニ

ブラックバス

オニバスの葉

↑オオヒシクイの調査

↑オオヒシクイの渡り経路

オオヒシクイとヒシクイの違い

入館券は、
最後にヒシクイの口に投入!

散策路を歩いてみると、ヒシの実がたくさん落ちていました。
ヒシクイは、水生植物であるこのヒシの実を好んで食べることからその名が付きました。

ヒシの実→

←ヨウモツ小屋
魚待つ小屋が訛って
ヨウモツ小屋となった?
本日のラストは「新発田城」へ移動〜ρ(^-^*)ノ イッテミヨー!。。
新発田城は、本丸が舟のような形をしているため「舟形城」、周囲の湿地にアヤメ
                が咲いていたことから「菖蒲城」とも呼ばれていました。

三階櫓は、事実上の天守に相当する櫓ですが、幕府
や親藩に遠慮して天守という名称は用いず、「三階
櫓」や「御三階櫓」と呼びました。
最上層の屋根の棟が丁字型で、それぞれの隅に1匹
ずつ、計3匹の鯱が載る全国唯一の櫓です。

三階櫓→

表門↓

辰巳櫓↓

↑堀部安兵衛武庸は、赤穂浪士四十七士の一人です。
ここ新発田の旧外ヶ輪に生まれました。家名再興のた
め江戸に出て、高田馬場の決闘で名を馳せ、吉良邸討
ち入りでは江戸急進派と呼ばれる勢力のリーダー格と
なりました。安兵衛の通称で知られています。

←辰巳櫓の城内側入口
平成16年に復元されたもので内部を見学できます。

新発田城の半分は自衛隊駐屯地↑になっています。
三階櫓は駐屯地内にあるため見学出来ませんでした。

新潟旅1日目は、ここで終了です。
2日目は、いよいよ佐渡へ上陸しまーす。。(〃 ̄∇)」やっほ〜♪ / ̄\∞ ←佐渡